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この話は、かれこれ10年くらい前。
僕がまだプログラマーをしていた頃の話。
その頃は夜遊びが楽しくてしかたがなかった。
ほとんど毎日飲みに行く。
給料はほとんど飲み代に消える。
そんなことをしていた。
当時、僕には、よく通っているスナックがあった。
『恭子』って名前のお店。
僕が住む春日部って市には、武里団地という大きな団地がある。
その団地のはずれに、五叉路の交差点がある。
その交差点に面する2階にあるお店が『恭子』だ。
そのお店は、ママさんと女の子ひとりで切り盛りする小さなお店。
だから、お客さん同士がすぐ仲良くなる、そんなお店。
そのお店には常連が一杯いて、僕はその中でも特によく来るお客。
毎日のように来ているからね。
その日も僕は仕事が終わって、別な店でちょっと飲んでから、
スナック『恭子』に顔を出した。
すると、知らないお客さんが3人いる。
いつもの連中が来ていないみたい。
その3人は、おっさんがひとりと、僕より若い20代の男女。
若い男女はどうも付き合っているカップルみたい。
元々おっさんとは知り合いでなくて、この店で初めて会ったみたい。
僕が入ってくると、3人は僕の方を見て、にこっと笑う。
自然と僕も、その3人の会話の中に入っていったんだ。
「最近、全然寝られなくてさ」
おっさんが言っている。
カップルの女性が、寝つきを良くする方法を
アドバイスしている。でも。
「それもやってみたんだけど、効果がないんだよなぁ」
そんな話を延々している。
僕は、女性とおっさんの会話を横で聞いてた。
そのうち、おっさんは、ウーロンハイのグラスを持った。
その時、気がついてしまった。
小指の第一関節から上がない。
ついつい、その部分を見ちゃっていたら。
「あ、これか?たぶん、想像のとおりだ。ちょいとヘマしちゃってな」
やっぱり、ヤクザなんだぁ。
もっとも、毎日スナックで飲んでいると、
ヤクザの人も飲みにくる。
でも、このお店では、問題を起こす人はあんまりいない。
ヤクザさんの世界って興味あるから、
いろいろと聞いちゃったりしている。
でも、このときは僕が聞くより前におっさんから、
聞かれてしまった。
「仕事は何しているんだ?」
ま、プログラマーって答えればいいんだろうけど、
すでにお酒が入っていた僕。
ついつい、冗談を言ってしまった。
「僕?僕はツボ売りです」
時々、言う冗談なんだよね。
元々は、プログラマーって言うのは形のない物を
売って給料を得ている仕事。
まるでツボ売りと似ている、なんて話だった。
でも、何度もそんな話をしているうち、
まるで本当にツボ売りだというストーリーを作ってしまった。
このときも、ついつい、僕はツボ売りです、って話をした。
元々はツボ売りになるつもりなんてなかったんだ。
きっかけは、おやじの故郷にいったこと。
おやじの故郷は、長野県の信濃大町ってとこ。
日本アルプスのふもと。
小学生の頃は夏休みだと言うと、信濃大町にいっていた。
そこに行くと、ひとつ年下のいとこがいて、
朝早くカブトムシやらクワガタやらを取りに行ってんだ。
もうひとつやっていたことがある。
それが、焼き物つくり。
いとこには仲のいい友達がいて、
その友達の父親が、焼き物を作る窯元さん。
すっごくいい親父さんで、僕らがいくと、
喜んでいろいろと作らせてくれた。
毎年、湯飲みや灰皿を粘土をこねこねして、
それっぽい形にする。
すると、親父さんが言うんだよね。
「おおっ、うまくできたじゃないか。
なかなか器用だなぁ。
よし、これは窯で焼いて送ってあげるからな」
正直言えは、そんなにうまいはずはないんだ。
でも、ほめられると嬉しくて、毎年作りに行ってた。
でも、それも、中学になると行かなくなってしまった。
夏休みも友達同士でいろいろとやるようになって、
「長野行くか?」と親父に聞かれても、
「いかない」って答えるようになった。
それから、十何年が経過した。
僕は社会人になって、スキーをやるようになった。
会社の同僚と、「どこかスキー場でいいとこ知らない?」
と言われて思い出しのが長野なんだ。
長野だったら、じいちゃんのとこに泊まれる。
どうせ部屋は一杯ある家だから、
4、5人くらい泊まれないことはないはず。
そう思って電話すると、「歓迎する」って言われた。
だから、大挙して、じっちゃんの家に遊びに行った。
いとこは、長野で就職していて、その時久しぶりに会ったんだ。
いとこも時間があるということで、一緒にスキー場に行くことになって、
彼のバンで行くことになったんだ。
ま、2日間ほど滑って、みんな喜んで帰っていった。
久しぶりのじっちゃんのとこだから、
僕だけは残ったんだ。
「そう言えば、ほら、窯元の友達、元気?」
なんだか妙に懐かしくなって、
聞いてみたんだ、すると。
「うん、彼は元気。でも、彼の親父さん、亡くなったんだ」
まだそんなに歳ではないはずなのに。
窯元の親父さんのやさしい笑顔を思い出して、
ちょっと寂しくなってしまった。
「そうだ、久しぶりに窯元行ってみないか。
今は、彼が窯元を継いでいろいろ作っているんだ」
もちろん、その提案に僕はのった。
「いやぁ~、久しぶりだね」
子供の頃の面影がちょっとだけある窯元の息子が
出迎えてくれた。
あ、今はもう、窯元になったんだ。
隣には、きれいな女性がいる。
「あ、これ、うちの奥さん」
そんな彼に案内されて、作業場や窯をみせてもらう。
僕が子供の頃と、作業場や窯はほとんど変わっていない。
でも、ひとつだけ大きな違いがある。
それは、陶器の破片があちこちにやたらと散らばっていること。
「この人、ちょっと気に入らないとすぐ割ってしまうのよ」
奥さんが言う。
彼の親父さんが作っていたのは、茶碗とか湯飲みとか。
実用的な陶器が多かった。
彼はそんな陶器じゃ物足りなくて、
もっとアートな作品を作り続けているらしい。
陶芸家になる、そんな目標を持ってがんばっているみたい。
でも、まだ陶芸家としては駆け出し状態。
作品として売れるモノはほとんどできていないとのこと。
だからと言って、日用品を焼くのには抵抗があるみたいで、
いつもアートな作品を焼いては、気に入らないで割って、
の連続らしい。
「おかげで貧乏なのよね」
そう言う奥さんの顔は、にこやかだ。
貧乏ではあるけど、不幸せってワケじゃなさそうだ。
夢を持ってがんばっている人を見るのは楽しいね。
ちょうど作品が焼きあがったとこで、
窯を開けるというんで、僕も立ち会ってみた。
窯の中に入ってひとつひとつ作品を取り出してくる。
ジィ~っと、作品に見入っていると、がしゃんと割る。
どうも、何かが気に入らないらしい。
まぁ、アートな作品というと、そういうものなんだろうけど、
ちょっと寂しい気持ちになった。
だって、彼の親父さんは焼きあがった陶器はとても大切に扱っていた。
ひとつひとつ、とっても大切なものって感じで、
やさしい顔で棚に並べていたのを思い出したんだ。
彼は難しい顔をして割る。
なんだか、それを見ていると寂しくなってくる。
で、つい言っちゃったんだ。
「ね。それ、もらっちゃダメ?」
大きな花瓶とかは無理だけど、小さな一輪挿しとかは、
持って帰れそう。
どうせ、割っちゃうんなら、いくつかもらって帰りたかった。
「え?でも・・・」
ちょっと迷っていたみたい。
考えて、彼は言ったんだ。
「作品としては納得できる出来ではないよ。
特に価値があるモノじゃない」
「あ、別に価値がどうのっていうんじゃないから。
なんか気に入っちゃったんで、もらえないかな」
結局、彼は了承した。
もちろん、作品として残すじゃなくて割っちゃうモノ。
割るかわりに僕がもらって帰る。
そんなことをしてみたいんだ。
うちに帰って、もらってきた陶器を並べてみる。
なんかいいんだよね。
どこか、ほのぼのとした暖かさを感じる花瓶とかぐい飲みとか。
それから、冬になると長野にスキーに行くのが恒例になった。
ついでに、窯元に遊びに行って、窯だしを見学してる。
で、彼が言うとこの失敗作をもらって帰ってくるんだ。
そんなことを何回かしていたら、随分と一輪挿しとかがたまってしまった。
押入れの中にカラーボックスがあって、その中に一杯並べてあるんだ。
時には、取り出してみて眺めて、長野の風景とかを思い出したりしてる。
「あれ?これ何??」
その押入れの中にある陶器コレクションを見つけた女性がいる。
彼女は、スナック『恭子』で働いている女性。
なんで、スナックで働いている女性が僕の部屋にいるかというと、
もっと一杯お客が僕の部屋に来ていた。
『恭子』で飲んでいた常連連中が、お店が終わってしまうから、
別なとこで飲もうって話になったんだ。
その時に、「じゃ、僕の部屋で飲もう」って話になった。
従業員の彼女も、飲むのは大好きな人だから、くっついてきた。
コンビニで酒とつまみを買って、みんなで飲んでいたんだ。
好奇心が豊富な彼女は、僕の部屋の中であちこちのぞいている。
別に変なものを隠してはいないから、
気にしないでいたんだ。
そしたら、陶器コレクションを見つけて、「なんだろう」となった。
で、僕はそれをもらった話をしたんた。
そしたら彼女。
「押入れの中に入れておくのはちょっともったいないじゃない?」
そう言って、ニタニタした顔をする。
「いいこと考えちゃった」
彼女が考えたことと言うのは、この花瓶を欲しがる人に売ろうって話。
彼女は近くのマンションに住んでいる奥さん。
マンションの飲み会の幹事みたいなこともしている人で、
やたらと奥さん連中の友達が多い。
時々、マンションの管理人室を占領して、
十人くらい集めて、飲み会をしている。
その飲み会に、僕が『ツボ売りのセールスマン』として
登場させようという話。
最初は酔っ払った上でのヨタ話だったんだよね。
ツボ売りセールスマンがいきなり現れたらびっくりするだろうなぁ、
なんて感じのね。
でも、「こうしたら面白い」とか考えていたら、
本当にやってみたくなってしまった。
彼女も僕もね。
で。
実際に実行してみた。
まず彼女がいつもの様に管理人室で飲み会を開催する。
これは簡単なこと。
僕はというと、黒のストライプの背広と、真っ赤なワイシャツ、
鮮やかな輝くようなブルーのネクタイ。
そんなハデで怪しい格好をしてみる。
手にはアタッシュケース。
その中に、小さめの花瓶とかを一杯つめる。
で、約束した時間にマンションの玄関のとこで、
管理人室に電話をする。
「あ、ゆうちゃん?今、ちょうど飲み会をしているとこ。
ゆうちゃんも来ない?」
打ち合わせどおりに、彼女は答える。
で、管理人室をノックする。
すると、彼女が顔を出して、僕を招きいれてくれる。
いい気分で酔いがまわっている奥さん達。
だいたい30代の人が多いのかな。
彼女は僕を紹介する。
「ゆうちゃんです」
酔っ払っているから、みんなノリがいいんだよね。
「まぁ、飲みなさい」という感じでお酒を勧めてくる。
何杯か飲んだところで、本題に入る。
「あ、奥さん、頼まれたモノ持ってきているだけど」
「あっそう、ありがとう」
「ちょっと、お願いがあるんだけど」
「なになに?」
「みなさんにも、見てもらっていいかな」
「もちろん、いいわよね」
そう言って、彼女が隣の奥さんに了解を求める。
「えっ?いいわよっ」
酔っ払っているから、簡単に了解をくれる。
「じゃ、お言葉に甘えまして」
といいつつ、アタッシュケースを開ける。
「今日はいろいろな品を持ってきまして。
この壷なんかは、とてもいい作品なんですが・・・」
ひとつひとつの陶器を見せながら、
奥さん相手にセールスマンぶりっこをする。
「おひとついかがですか?」
「あ・・・うちは必要ないかなぁ・・・」
「そうですか、この品なんかはとっても上品な仕上がりに
なっていると思いませんか?」
その隣の奥さんにも陶器を勧める。
それまで、わいわいと楽しげな雰囲気だったのが、
急にしーんとした空気に変わる。
僕も彼女以外の人は、皆とまどった感じで、
どうしたらいいかのって顔をしている。
それでも気にしないで壷売りを続ける。
結局、すべての奥さんに勧めたけど、ひとつも売れなかった。
「クミさん、皆さん買ってもらえませんでした。
すごくいい品だと思いませんか?」
「そうよね。これなんかすごくいい感じよね」
「クミさんは買ってくれますか?」
「そうねぇ・・・」
周りの奥さん達は、彼女がどんな決断をするのか、
固唾を飲んで見守っている。
「これをこれをいただこうかしら」
ふたつの壷を選んで、こう言うと、
周りの人たちは、「ぇっ?買うの??」って顔になる。
「ありがとうございます。お支払いは即金でいいですか?」
「もちろん、はい」
彼女は財布を出して、千円札を出す。
「いつもありがとうございます」
「ええっ~」
周りの奥さん達が騒ぎ出す。
「ふたつで1000円でなの?」
「ええ。どれでもひとつ500円です」
「じゃ、私は・・・」
みんなで品定めしはじめる。
セールスマンごっこをしていたときは、
一切値段の話をしていなかったのだ。
「いったいいくらなのか、もしかしたら何十万?」
なんて顔をしていた奥さん達が500円だと分かると
急ににぎやかに「あれがいい、これがいい」とはじめる。
結局、なんだかんだで20個近く売れて、
売上が一万円弱。
ま、お金というより、怪しいセールスマンごっこが
すっごく楽しくて、癖になりそう。
その後、奥さん連中と仲良く飲み会をしてお家に帰ったんだ。
でも、この壷売り。
その日だけじゃ終わらなかった。
「ね。ゆうちゃん。あるとき壷4つ買ってくれた奥さんがいたじゃない?」
「うん、いたいた」
「彼女が友達呼んでホームパーティーするんだって」
「へぇ~」
「で、ゆうちゃんに又、壷売りしないってお誘いなんだけど」
どうも、壷売りでびっくりさせられた奥さんが、
別の友達を集めて、同じことをしたくなったらしい。
悪気のないドッキリというのは、
格好のパーティのアトラクションらしい。
「いいですよ」
それから僕は時々壷売りをするようになった。
さすがに僕の陶器コレクションじゃ足りなくなって、
長野のあの窯元にまたお願いして、もらいに行った。
さすがに売るから、タダというワケにはいかず、
一個100円で、一杯譲りうけるようになった。
「いつも、ありがとう」
壷の買出しに行くと対応してくれるのが奥さん。
お腹が大きくなっていて、あとすこしで子供が生まれる。
「こっちこそ、助かっているのよ。
ほら、子供が生まれると何かとモノ入りよね」
そう言って、旦那が失敗作だとしたつモノを
割らせず、大切に保管していてくれる。
いくら彼が失敗作だと思っているとしても、
しっかりと心を込めてつくった壷や花瓶。
そこいらの向上で作っているモノとは違う。
ちゃんと温かみが感じられるんだよね。
まぁ、1個100円という安い金額だけど、
数が一杯になるとバカにできないもの。
ちょっと生活の足しにしてもらえるのも嬉しい。
長野で壷を仕入れて、奥さんのパーティで売る。
だから、僕の仕事は壷売りなんだ。
「へぇ~、本当に壷売りなんですね」
「そう。珍しいでしょう」
『恭子』に来ていたお客さん3人に
僕は壷売りって話をしてみた。
まず、反応したのが若い女性。
僕が語るパーティの話を楽しそうに聞いていた。
「面白いお仕事ですね」
「そうかなぁ~」
女性に褒められてとっても嬉しい僕。
あ、ちょっと説明しておくと、「僕は壷売り」って話。
全くの創作話なんだ。
僕の仕事はプログラマー。
それも、とっても忙しくて、休みもほとんどなくて、
毎日終電近くまで仕事をしている。
それだとストレスがたまってしまうから、
毎日の様に、『恭子』に遊びに来て、
たわいのない話をしている。
ママさんの方を見ると、
「もう、ゆうちゃんたら!」
って顔をしている。
ママさんは僕の仕事の状況を知っているから、
そんな壷売りなんてやっているはずがないって知ってる。
でも、初めて会った人たちはそんなことを知らないから、
僕がしゃべった「壷売り」って話を信じている。
うふふ。
この話なかなか真実味があるんだよね。
面白くて何度も話ているうち、どんどんディテールが
付け加えられて、すごくリアルな話になっちゃった。
「そういう仕事っていいですね」
なんて話になって、お互いの仕事の話をいろいろした。
若い男女は会社員。別々の会社だけどね。
おっさんは、ガテン系の仕事をしているみたい。
今はヤクザではなく、足を洗ってらしい。
4人でわいわい話しをしていたんだけど、
若い男女は明日仕事が早いというんで、帰っていった。
すると、おっさんがこんなことを聞いてくる。
「で。聞いていいかな。
500円で壷を売った後、何を売るんだ?」
「えっ?別に何も売りませんよ。壷売りですから」
「そんなはずはないだろう。
そもそもバックはどんな連中がいるんだ。
教えてくれてもいいだろう」
最初は何を言っているのか分からなかった。
でも、彼の質問を聞いていると、
何をいいたいのかだいたい分かってきた。
「だから、僕だけでやっているビジネスなんです。
ま、作ってくれているのは長野の友達だけど」
「いいかい。俺はヤクザをやっていたことがあるだっていったろ。
そんな世界は一通り見てきた。
耳障りのいい話っていうのはね、大抵裏があってだな・・・」
それを聞いて僕は、なんだか情けなくなってきていた。
そりゃ、この話、裏があるれどころか、僕が考えた作り話。
でも、そこに登場する人たちはそれぞれモデルがいて、
本当にそんなことが起きてもおかしくない。
ただ、実際にはやっていないってだけ。
それも、なんか裏に悪い奴らがいて、
金儲けの道具として使っていると思われたのが心外だった。
僕はムキになって反論する。
「だから、そんなじゃないって。
マルチビジネスも、裏社会とも関係ない話なんだって」
そう言っても彼は納得しない。
「俺だって、いろんな奴らといろんなことをしてきたんだ。
その中にはなぁ、頭がいい奴がいてな」
だんだんとおっさんの昔話になってきた。
辛い話だった。
人がよさそうなおっさんは、いつも頭のいい奴にだまされてしまう。
あるときは金を持ち逃げされ、
あるときは責任を押し付けられ、指を詰めさせられる。
それでも。彼は人を信じ続けた。
そして、その度に裏切られてしまう。
話を聞いているうちに、だんだんと彼をだました人たちに
対して、怒りがこみあげてきた。
「でもな。それでも、俺は幸せだったんだ。
ヤクザでいるうちはな」
彼は、一度刑務所に入っていると告白した。
刑務所に入った理由は、組のお偉いさんを守るため。
組長が頭を下げて、幹部の代わりに警察に出頭することを頼んだ。
彼は、なんだかんだ言って、組長をことを大切に思っていた。
家族、いやいや、家族以上に愛していた。
だから、彼はひとりで刑務所に行った。
「無事、刑期を勤め上げて出てきたら、
おまえも幹部だからな」
本来つかまるはずの幹部は、そう言って彼を送り出した。
彼は模範囚だった。
予定より一年も早く刑務所を出てこれたくらいだ。
刑務所にいるうちは、外との連絡は全然できない。
家族がいれば、手紙の一本もよこすだろう。
でも彼は天涯孤独だった。
知り合いとか全部、組関係の人だった。
当然、組関係の人からの連絡は取り次いではもらえない。
だから、彼は掘りの外のことを全然知らずにいた。
そしていよいよ、刑期を終えてシャバに出る。
「もう帰ってくるなよな」
そう刑務官に言われて、掘りの外に出る。
もちろん、最初に向かうのは組の事務所だ。
しかし。
組は無くなっていた。
理由は分からない。
しかし、組は解散していて、組長も組員もどこにいるか分からない。
いきなり、誰も知っている人がいない状況になってしまった。
それからは、ガテンな日雇いの仕事をしているらしい。
やりたいことも、なにもない。
くたくたになるまで働いて、飲んで眠る。
いや、不眠症になってしまったから、寝るに寝れない。
そんな状況はおっさんはいた。
僕はおっさんの話を聞いて、なんだかやるせかい気持ちになっていた。
人がいいおっさんというのは、いつも損ばかりしている。
いいことなんて何もない。
ついつい、彼の話に感情移入してしまって、
なんだか、世の中に希望が感じられなく思えてしまう。
僕がじっと聞いているから、
おっさんはつらい胸のうちをどんどんと明かしていく。
「別にさ。組の幹部になりたかったわけじゃない。
組のためになる、そう信じていたんだ。
それが裏切られてしまった。
でもな。
裏切った奴がいるときは、まだよかった。
そいつを恨めばいい。
でもな、誰を恨んだらいいのか?
恨む相手すらいない。
恨むのは自分がバカだったことだけじゃないか!」
吐き出すように語るおっさん。
僕には、何もいえなかった。
不条理な世の中。
おっさんの視線で世の中を見ると、つらいことしかない。
酒でまぎらわすしかない。
「いいか、刑務所というとこは、寂しいとこなんだぞ。
春になればサクラが咲く。
でもな、そのサクラだって、塀の外だ。
鉄格子越しに眺めるしかないんだぞ」
その話を聞いたとき、僕は自分の置かれている
つらい立場につないでしまった。
「いいじゃないか、鉄格子越しだって。
サクラが見えるんだろう?
僕なんか、僕なんか。
心の中の牢獄にいるようなものなんだ。
そりゃ、誰に捕まっているわけじゃない。
でも、心の中の牢獄にはサクラなんて咲かない。
ずっと暗いまま一年が過ぎていくんだ」
そう。
僕は心の中の牢獄にいた。
『恭子』で毎日飲んでいるのは、
そのときだけは僕は自由だった。
「ゆうちゃん」と名乗り、誰からも好かれる人間。
それは、現実の世界の裏がえし。
現実の世界では、みんなに嫌われていた。
「主任!前に言った件、いつ対応できるんですか?
お客さんからクレームの電話で困っているんです」
「なにやっているんだ!」
「おまえがしっかりしなきゃ、誰にもできないことなんだから」
「いいかげんにしてくださいよ!」
問題点はすべて僕に来る。
もちろん、問題をつくっているのは僕だ。
でも。
でもでも。
僕だけじゃできっこない。
できっこない、ってことは認めてもらえない。
「おまえしかできないんだから」
そう言ってる相手のホンネはわかってしまう。
ちょっとでも手を出したら巻き込まれてしまう。
危ないことは近づかない。
「おまえのせいだ」
「おまえのせいだ」
朝9時から、夜11時まで。
僕は心の牢獄の中にいる。
そこから出るときは、僕であって僕じゃない。
みんなから嫌われている僕じゃない。
誰もが好きになる「ゆうちゃん」だ。
でも。
サクラが咲く頃だけは、「ゆうちゃん」になれない。
僕が担当しているシステムは、
レセプトコンピュータと言って、
お医者さんが社会保険に請求するためのシステム。
毎年4月に医療法改正と呼ばれる制度変更がある。
これがあるから、いくらプログラムを直しても、
いつまで経っても、不具合がなくならない。
だいぶ良くなったと思っても4月になると
ぐちゃぐちゃにされてしまう。
4月の前後一ヶ月。
サクラが咲くころは、会社に詰めっぱなし。
休みどころか、会社のソファーで寝て、机でカップラーメンをすする。
一日中、怒られながら仕事をしつづける。
「鉄格子越しだっていいじゃないか。
サクラが見れるだけいいじゃないか・・・」
いきなり、意識が朦朧としてきた。
いいかげん今日は酒を飲んだみたいだ。
「ゆうちゃん」
「ゆうちゃん」
ママさんの声がする。
「ゆうちゃん、もう終わりよ。
帰りましょうよっ」
目を開けると、ママさんが覗きこんでいる。
お客さんはみんな帰ったみたい。
僕とおっさんを除いて。
従業員の女の子も帰って、
ママさんは後片付けも終わり、帰るとこみたい。
だから、僕を起こしたんだ。
いつの間にか寝てしまったらしい。
隣を見ると。
おっさんがいる。
寝てる。
くーすか、気持ちよさそうに寝息を立てながら。
「あれ?寝られないじゃなかったのかな?」
ちょっと不思議に思ったけど、
気持ちよさそうに寝ているのはいいことだ。
でも、もうお店を閉めて帰らないといけない。
時計を見ると、5時半。
本当は2時までのお店なんだけど、お客さんがいると
ママさんはお店を開けていてくれる。
もう朝かぁ。
仕事に行かなきゃね。
おっさんをゆすって起こす。
むにゃむにゃいいながら、寝ぼけている。
その上相当酔っ払い。
元々お酒に弱い僕は、すぐ酔うけど、
それほど量は飲めないから、すぐ醒める。
おっさんは、焼酎1本半くらいひとりで飲んでいる。
相当よっぱらい。
「ほら、帰るよ」
おっさんを抱きかかえるようにして、
お店を出て、階段を降りる。
このお店、階段が急なんだよね。
よっぱらっていると、足がもつれて落ちかねない。
おっさんを立ち上がらせて、肩を貸しながら下に降りる。
おっさんを見てみると安心しきった顔で、
僕に身体を任せている。
気持ちよさそうに。
まるで、天使に身をゆだねているように僕には見えた。
実話版「天使に出会った日」・・・終わり
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